
今回は「脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦 / 渡辺正峰 著」の書評を行います。
こちらの書籍は2017年段階での最新の脳科学の見地をもとに、
- 人間の意識とは何なのか?
- 人間の意識は脳のどこに存在しているのか?
- 人間の意識を機械に移植することはできるのか?
といった禁断の問いへと踏み込んでいきます。
実験ベースで解説されているので、脳科学の専門的な内容を取り扱っているにも関わらず理解しやすいです。
脳科学や哲学に興味があるのなら、ぜひ読んでみることをオススメします。
今回の書評では、前半に登場する 感覚意識体験=クオリア に関する実例の数々を紹介しますね。
感覚意識体験(クオリア)とは?
初めに感覚意識体験(クオリア)の意味に触れましょう。
簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。
クオリア – Wikipediaより引用
この説明を読んでもはっきりとは理解できないかもしれません。
むしろクオリアは「具合の良い説明ができないもの」でもあるので、理解できなくても大丈夫です。
著者の渡辺さんは意識の問題はクオリアの問題に集約されると述べています。
この本の前半ではクオリアの話題がメインです。
クオリアについて知るために、盲視患者の例を見ましょう。
盲視患者の例
DBは26歳のときに、脳腫瘍の治療のため、第一次視覚野と呼ばれる脳部位を切除する手術を受けた。
(中略)
ただ、不思議なのは、見えないことは承知のうえで、近くにある対象物の位置や動きを無理矢理に答えてもらうと、かなりの正解率で当ててしまうのだ。当てたDB本人が、その当てずっぽうの当たり具合に驚いている。
DBが切除した第一次視覚野は視覚情報の入り口にあたります。
この部位を切除したDBは完全に視力を失いました。
にもかかわらず、彼は“見えていない”物を答えることができたのです。
この現象をまとめると以下のようになります。
- DBの意識では視覚情報を感じることはできない。
- しかし脳では視覚情報の処理が進んでいる
つまり彼が手術で失ったのは視覚クオリアであり、視覚自体は機能しているのです。
この事実から、私たちが体験している「この感じ」は、脳が私たちに見せているということ。
実に不思議です。
主観的時間遡行
次にベンジャミン・リベットが提唱した主観的時間遡行についてみていきましょう。
脳への電極実験
リベットが行った実験の概要はこちらです。
- 開頭手術中の患者の脳に電極を挿入した。
- 電気刺激により患者は手に何かが触れた感覚を得る。
その結果、、、
- 中程度の電流では刺激が0.5秒持続しないと皮膚感覚が生じない → つまり、電気刺激による皮膚感覚は刺激が開始して0.5秒後に得られる。
- 電気刺激と皮膚刺激を同時に行うと、両者は同時に知覚される → 電気刺激だけでなく、直接の皮膚刺激も0.5秒遅れていることがわかった。
リベットはこの実験から3つの結論を出しました。
- 神経活動が意識にのぼるためには、それが、0.5秒以上持続する必要がある。
- 意識の時間が現実から0.5秒も遅れている。
- いざ知覚が発生したときには、刺激発生のタイミングまで遡って感じる。
驚くべき結果は3つ目ですね。
感覚の発生は0.5秒遅れているにも関わらず、リアルタイムで知覚しているように感じる。
この現象をリベットは主観的時間遡行と呼びました。

分離脳患者の例
次は分離脳患者の例です。
分離脳患者とは、癲癇の症状を軽減するための手段として、右脳と左脳を分離した患者さんのこと。
この手術を受けた患者さんから、以下のような後遺症が報告されています。
- 右手がシャツのボタンをかけるそばから左手が外してしまう。
- フォークを持つ右手がステーキを口元に運ぼうとした矢先に、ナイフを持った左手が邪魔をする。
この現象について患者に尋ねると、みな「左手が邪魔をする」と答えます。
というのも、言語能力は体の右側を担当する左脳にあるので、言語解答できるのは左脳だけなのです。
そこでロジャー・スペリーは以下の実験を行いました。
- 右脳が担当する右目だけにスパナなどの小物の画像を見せる。
- その後、右脳が担当する左手で画像の通りの小物をとってもらう。
その結果、分離脳患者は画像で指示された通りの小物を手にすることができた。
この実験の面白いところは、「画像の小物は何か?」と口頭で回答を求めた場合です。
なんと患者は左手で指示された小物を選択する能力があるにも関わらず、「何も見えない」と回答するのです。
すなわち、分離脳患者の右脳と左脳には、それぞれ異なる意識が宿っていることになります。

書評:脳の意識 機械の意識
ここまで「脳の意識 機械の意識」に登場する3つの事例を紹介しましたが、本書にはまだまだ面白い事例が掲載されています。
そして本書の後半では、これらの事例をもとに、機械への意識の移植に関する思考実験が展開されるのです。
著者の考えでは「機械への意識の移植は可能」とのこと。
著者自ら体験してみたいとまで語られています。
機械が十分に深化し、ブレイン・マシン・インターフェースが熟成したところで、ぜひ、自らの脳をもって、機械の意識を試してみたい。
私の脳半球に機械の半球を接続する頃には、機械半球はどこまで進化しているだろうか。『風の谷のナウシカ』にたとえるなら、ドロドロの状態で初陣についた巨神兵のようなものは、ぜひとも遠慮したいところだ。そのときの私が、「腐ってやがる!」と叫ぶか、それとも、機械側視野のクオリアに酔いしれるか、云十年後のニュースを楽しみにしていただきたい。
中々クレイジーなお方ですよね。
『風の谷のナウシカ』や『マトリックス』の例が登場するなど、学術的な内容でありながら、一般書としてのユーモアや読みやすさが存在するのが、本書の良いところです。
あなたもぜひ「脳の意識 機械の意識」を読んで、意識の深淵へと足を踏み入れてみてくださいね。